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2012年12月12日 (水)

『親という名の暴力』を読んで

「なんという大きな"責任"を生んじゃったんだろう」。

10年前に長女を産み、その小さな命を初めて手に抱いたときに、胸をついた思いである。
「うれしい」より「かわいい」より先に、何よりその責任の重さを実感した。

生んでから言うな、と言われるだろうか。
しかし、どれだけの人が、どれだけの自信をもって、子どもを持つことに踏み切っているだろうか。
まだ、親としては10歳足らずではあり、えらそうに何か言うことはできないけれど。

おそるおそる踏み出しても、いいのだと思う。
だって「1人の人間を、立派な成人として自立するまで完璧に育て上げる」という確かな自信が、最初からある人は世の中にどれだけいるだろうか。

確かに「親となること」「親であること」は責任重大で、途中で投げ出してはならない務めである。
晴れの日もあれば、大雨の日もある。暴風雨もあれば、雹も降る。

子育てというけれど、本当に育てられ、試されているのは親の方で。
日々悩みは尽きないし、自分の未熟さに向かい合うしんどさ、思い通りにいかないもどかしさに、たまらなくなるときもある。
しかし、「こういう人間でなければ親となってはいけない」であるとか、いわんや親となるのを免許制にしろだとかいうのは暴論ではないだろうか。
それは少子化の流れに棹差すことになりさえすれ、他者の未熟さを許さない狭小な社会を生んでいくだけではないか。
親の顔が見てみたい、と簡単に言うけれど、私も子どもを生むまでは同じようなことを思ったりしたこともあったけれど、親だって完璧じゃないし完璧じゃなければ子どもを持てないのだとしたら、世界の人口はいったい今の何分の1になっていることだろう。

なんて、ここ数日もんもんと思っているのは、先日読んだ『親という名の暴力』がきっかけである。
著者は、現役で東大に入り、医師として30年のキャリアをもつ女性医師。
しかし、大学に入る1年前から、境界性人格障害にうつ病を合併した精神疾患を発病していた。
その疾患は、幼い頃からの両親との関係によるものであり、36歳までの10年間に、計8回、精神科に入退院を繰り返した。自殺企図を繰り返し、ベンゾジアゼピン中毒にも陥り、38歳で回復の契機をつかむまでは、正に地獄を這いずり、社会から完全に落伍する寸前に至った。

500ページ以上に及ぶ記録はすさまじく、読んでいて何度もつらくなった。
著者の育った家庭環境は確かに同情に値する。
父母にそろって人間性や能力を否定され、罵倒され続けた子ども時代。
唯一愛情を注ぐ対象であった障害児の弟がいたが、母親には事あるごとに「弟を連れて死ぬ」と脅され、心が安らぐ日がなかったという。

毒になる親』を読んだときにも思ったが、親子関係が子どもの成長に及ぼす影響は想像以上に大きい。
心しなくてはいけない、と強く強く思う。
そこに悪意がなくとも、愛情と期待が大きい故に我が子に多くを求め、それがかなわないために、つらくあたってしまうこともある。
著者の父母自身も幼い頃から親子関係で傷ついた経験をもち、著者にもその連鎖でもって接してきたという。

著者は言う。
「子どもにとって親ほど重い存在はない。」
「悪いことは悪いと勿論諫めなければならないが、親は我が子に対しては、他の誰に対してよりも理性を十分働かせ、徒に心を傷つけることのけしてないよう、常に細心の注意を払って関わり、話をして欲しい。」
著者の経験から出た、叫びのような、祈りのような言葉である。

それは、わかる。わかる部分もある。
それは理想かもしれない。
長女に聞いたら、そういう親であってくれというかもしれない。
でも、少なくとも私にとっての理想とは違う気がする。

賢明な親にはほど遠い私の、負け犬の遠吠えだろうか。

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コメント

まだたった1年4ヶ月ですが、親になることは大変ですね。
うっかり言ってしまった言葉が
まだ幼いこの子の潜在意識の奥深くに入り込んで
将来、何か心の傷にならないかなんてことを
反省しながら考える日々です。

最近、親が子どもをコントロールすることの危うさを
メンターから言い聞かされています。
期待するから、ついつい支配してしまう。
悪意がないだけに難しいですよね。
虐待は根がとても深く、虐待を受けた知人が
カウンセリングを受けながらでないと
育児が出来ないと言っていましたが、
本当にそういう継続的なサポートが必要だと感じます。

投稿: 笑門来福 | 2012年12月19日 (水) 13時19分

>笑門来福さん

そうですよね、私も反省の連続です。
とくに1人目は手探りの不安があったので、
周りの人からのちょっとした言葉
(「がんばってるね」「いい子に育ってるね」など)
がすごく嬉しかったりしました。

子育てのサポートが必要だということは私も感じます。
そして虐待は根が深い…本当にそうですね。
カウンセリングやサポートがもっと手の届きやすいものになり、
世間的にも、社会全体で子どもを育てようという気運が
広がるとよいなと思います。

投稿: コトノハ | 2012年12月20日 (木) 07時17分

正解のないものだから、むずかしいよね。
著者の意図を理解して、子育てを“責任”とすぐに思える、
コトノハちゃんはエラいなぁ…と思います。
私は産んだ瞬間「おお、分身ができた。楽しもう!」でした(笑)
私もここ数年、地域NPOだったり、研修受けたりして、
虐待の実態を知ったりして、色々考えさせられました。
親の姿勢は子どもを見ればすぐわかるよね。
賢明な親にはほど遠いなんてー!コトノハ家の娘ちゃんたちが
すべて証明してくれてるよん。

投稿: lump | 2012年12月23日 (日) 08時07分

>lumpさん

楽しもう♪っていいね。
確かに、一緒に楽しむっていう感覚って大事だよね。
私が長女を出産したときの元上司からのお祝いカードには
「いいお母さんより楽しいママになってください」って
あって、それがとても印象的だったな。

ちなみに私が「責任」を実感したのは長女を出産したときで
次女の時はただただ「可愛い」でした。
6年間である程度、開き直ったのでしょうか(笑)
今のところ娘達は私が育てているにしてはよく育っていると
思うけれど、今後10年間がまた怒濤の時間なんだろうな。
本当、正解がないから難しいよね。

投稿: コトノハ | 2012年12月28日 (金) 22時56分

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